正常化プロジェクトの最近してること。 ― 2023年06月24日 11:10
正常化プロジェクトメンバーJR3QHQの田中理事が高尾会長に対して監査請求した。
何についてかっていうと正常化プロジェクトの山内「代表」がJARLに対して起こした「会計帳簿閲覧請求」に控訴をしたこと、「独断」だと言いたいらしい。開示したらまたぞろ第三者に対して前回のようにばら撒いて適当なデマをでっち上げることは目に見えているので、JARL執行部は控訴しただけ。だいたい田中理事の「親分」が提訴した裁判だから控訴するなというのも虫がが良すぎません?
それについて監査の回答がとても面白いのでぜひ読んでください。
「田中理事には、先にも申し述べましたが、他人の発言を聴いていただくこと、尊重されるよう要請します。大声や幾度も同じ発言を繰り返すような行為、暴言、個喝と誤解されるよう な大声での発言行為、秩序を乱すような行為はお控えください。」
こういう人物がJARL理事であったり、関西地方本部長だったりするのだから3エリアの「良心」を持つ人たちはお気の毒だなあと。
何についてかっていうと正常化プロジェクトの山内「代表」がJARLに対して起こした「会計帳簿閲覧請求」に控訴をしたこと、「独断」だと言いたいらしい。開示したらまたぞろ第三者に対して前回のようにばら撒いて適当なデマをでっち上げることは目に見えているので、JARL執行部は控訴しただけ。だいたい田中理事の「親分」が提訴した裁判だから控訴するなというのも虫がが良すぎません?
それについて監査の回答がとても面白いのでぜひ読んでください。
「田中理事には、先にも申し述べましたが、他人の発言を聴いていただくこと、尊重されるよう要請します。大声や幾度も同じ発言を繰り返すような行為、暴言、個喝と誤解されるよう な大声での発言行為、秩序を乱すような行為はお控えください。」
こういう人物がJARL理事であったり、関西地方本部長だったりするのだから3エリアの「良心」を持つ人たちはお気の毒だなあと。
「行為と情報」レピーターってなんだろう?7N4QUK ― 2021年08月11日 19:42
最近、特小に興味を持った、以前から特小自体は持っていたが、一台で中継機能があったり、中継機能を使える特小は持ってはいなかった。自宅で特小レピータゴッコをやりたくて、3台も買ってしまった。
防水ケースに中継機能のある特小を入れ、ベランダのバイブの上にセット。
家の中にいる妻との間でどれほどの距離できるのかをやってみた。
歩いて調べた結果、住宅地の中、一キロメートルほど離れても交信ができた。
このような簡易レピーターも実用で役に立つことがあるだろう。
単純に面白かった。
1200Mhzや430MHzにもレピーターはある。最近ではデジタルのD-STARなどのレピーターもある。
時々それらの公共財を使わせてもらうことがある。便利で面白い仕組みだ。
UHFは直進性が高く、山や建物などの障害物に弱い。移動体同士などの通信にその弱点を「補う」と言うのが元々のレピーターの役割。
特小の場合には出力がわずか10ミリWなので到達範囲を「補う」ためにレピーターが求められたのだと思う。
レピーターを使う無線は「無線じゃない」と言う人がいる、しかし特小や1200MHzのレピーターは困難を伴うことなく、常置場所から交信、会話を可能にすると言う意味では、便利なものだ。特小と1200MHzという周波数にとってはこれらを「実用」に供するには必要なものかもしれない。
レピーターによる交信と直接相手に電波を届ける通信との本質的違いはなんだろうか?
レピーターによる通信は、自分の音声なりデータなりの送信した変調をかけられた電波を届けているのは、山の上にある中継機までであるという事、そこでレピーターから送信された電波に載せ替えて音声なりデーターを送っているということ。交信相手も同じようにする。
互いに一つの中継器を共用してレピーターから相手までの届かない半分を「補っている」
山の上に移動しないですむのだからお互い楽だ。
一方、交信相手のいるところまで直性電波を届かせる無線は、お互い山に登ったり、アンテナや出力を大きくしたりしないと遠くまで届かない。そういう相手と交信するとき私たちは、相手のいる地点と自分のいる地点との間の空間を想像し、交信相手に自分を置き換えてどんな風に届いてるかなどと想像したりする。自分のいる地点を中心に相手までの空間を埋めている電波を想像することが出来る。
この状況とはどういうことだろう、友人状況において、自分のいるところから、相手の住んでするところまで行き、言葉を交わし、互いに嬉しい。これは直接電波を届かせる場合。身体の延長としての電波を届かせている。
レピーターによる無線の場合はどうだろう。
こちらの場合共有している中継器(レピーター)を中心とした空間の中にいる、自局と相手局を思うはずだ。自分の電波も相手の電波も中継器(レピーター)までしか届いていないのだから。
届いているのはレピータからの電波と互いの情報のみで、互いの送信「行為」としての電波は届いていないのだ。
レピーターが自局と相手局の送信行為を相手局までの空間を「代行してくれる」が送れるのはレピーターの電波に乗せられた互いの送った情報のみだ。
この状況では、送信行為の結果としての身体の延長たる電波は届いていない、相手に届くのは情報としての友愛の言葉だけ、両者の身体的行為の結果である身体の延長である電波を受信できているのは中継器だけ。友愛の言葉を囁くのは中継器からの電波だけ。これでも互いに嬉しいかもしれない、送信するという友愛的「行為」を代行するレピーター。両者の電波が出会うのは中継器の上だけ。
互いに合って手を握るか、お手紙くらいの差がある。
それでも、リアルな人間関係よりも、「他人事として」よそよそしくいつまでも他人のようでいたいという欲求もあると思う。
リアルな恋人より二次元やAVの方がいいみたいな。
性行為なしの妊娠のような。
「行為」するか「情報」だけか「行為」は他人任せでいいか?
レピーターは無線行為の空間を満たす喜びはないけれど。
それはレピーターに任せて「レピーターにアクセスする端末でいたい」という人には楽しいのだろう。
無線かという問いには「空間愛」をレピーターに代行させてるので無線行為とは呼べないかな。
でも気楽でいいかもしれない。
防水ケースに中継機能のある特小を入れ、ベランダのバイブの上にセット。
家の中にいる妻との間でどれほどの距離できるのかをやってみた。
歩いて調べた結果、住宅地の中、一キロメートルほど離れても交信ができた。
このような簡易レピーターも実用で役に立つことがあるだろう。
単純に面白かった。
1200Mhzや430MHzにもレピーターはある。最近ではデジタルのD-STARなどのレピーターもある。
時々それらの公共財を使わせてもらうことがある。便利で面白い仕組みだ。
UHFは直進性が高く、山や建物などの障害物に弱い。移動体同士などの通信にその弱点を「補う」と言うのが元々のレピーターの役割。
特小の場合には出力がわずか10ミリWなので到達範囲を「補う」ためにレピーターが求められたのだと思う。
レピーターを使う無線は「無線じゃない」と言う人がいる、しかし特小や1200MHzのレピーターは困難を伴うことなく、常置場所から交信、会話を可能にすると言う意味では、便利なものだ。特小と1200MHzという周波数にとってはこれらを「実用」に供するには必要なものかもしれない。
レピーターによる交信と直接相手に電波を届ける通信との本質的違いはなんだろうか?
レピーターによる通信は、自分の音声なりデータなりの送信した変調をかけられた電波を届けているのは、山の上にある中継機までであるという事、そこでレピーターから送信された電波に載せ替えて音声なりデーターを送っているということ。交信相手も同じようにする。
互いに一つの中継器を共用してレピーターから相手までの届かない半分を「補っている」
山の上に移動しないですむのだからお互い楽だ。
一方、交信相手のいるところまで直性電波を届かせる無線は、お互い山に登ったり、アンテナや出力を大きくしたりしないと遠くまで届かない。そういう相手と交信するとき私たちは、相手のいる地点と自分のいる地点との間の空間を想像し、交信相手に自分を置き換えてどんな風に届いてるかなどと想像したりする。自分のいる地点を中心に相手までの空間を埋めている電波を想像することが出来る。
この状況とはどういうことだろう、友人状況において、自分のいるところから、相手の住んでするところまで行き、言葉を交わし、互いに嬉しい。これは直接電波を届かせる場合。身体の延長としての電波を届かせている。
レピーターによる無線の場合はどうだろう。
こちらの場合共有している中継器(レピーター)を中心とした空間の中にいる、自局と相手局を思うはずだ。自分の電波も相手の電波も中継器(レピーター)までしか届いていないのだから。
届いているのはレピータからの電波と互いの情報のみで、互いの送信「行為」としての電波は届いていないのだ。
レピーターが自局と相手局の送信行為を相手局までの空間を「代行してくれる」が送れるのはレピーターの電波に乗せられた互いの送った情報のみだ。
この状況では、送信行為の結果としての身体の延長たる電波は届いていない、相手に届くのは情報としての友愛の言葉だけ、両者の身体的行為の結果である身体の延長である電波を受信できているのは中継器だけ。友愛の言葉を囁くのは中継器からの電波だけ。これでも互いに嬉しいかもしれない、送信するという友愛的「行為」を代行するレピーター。両者の電波が出会うのは中継器の上だけ。
互いに合って手を握るか、お手紙くらいの差がある。
それでも、リアルな人間関係よりも、「他人事として」よそよそしくいつまでも他人のようでいたいという欲求もあると思う。
リアルな恋人より二次元やAVの方がいいみたいな。
性行為なしの妊娠のような。
「行為」するか「情報」だけか「行為」は他人任せでいいか?
レピーターは無線行為の空間を満たす喜びはないけれど。
それはレピーターに任せて「レピーターにアクセスする端末でいたい」という人には楽しいのだろう。
無線かという問いには「空間愛」をレピーターに代行させてるので無線行為とは呼べないかな。
でも気楽でいいかもしれない。
「極私的、無線の楽しさについて考えた」 7N4QUK ― 2021年07月28日 14:33
小学生の頃、ソニーのICB-650でCB遊び、私の無線的感性は全てここで養われた。
無線の面白さ、奥深さ、わびさび、その美的側面、無線的人間関係の難しさを吸収した。
必然のようにアマチュア無線の免許を取り「アマチュア無線開局ガイド」という本で、自分がこれから始める周波数について検討した。
私はCBとの近さから、10mをやりたいと思ったが、予算と当時6mが入門バンドとして勧められていたこともあり6mを選んだ「開局ガイド」の6mの紹介に添えられていた、山を電波がのんびりと超えてゆく絵と「飛ぶときは飛ぶ」けど「飛ぶような飛ばないような」何とも言えない感じも気に入った。
中学生になって開局した。
6mAMをポータブル機と4エレの八木で運用したが、どうも自分が求めているものと違うことに気づく、 アマチュア無線は整然としすぎていて、運用している人も「均質」、何よりあまりにもたやすく「遠く」ができすぎた。必ずやるリグとアンテナの紹介という、優劣の付け合い、めんどくさいカード、今まで違法局の混信でできなかった、Esもたやすくできてしまう。
やたら分厚いCQ誌で大人たちのDXの話を読んでもわくわくするものは何もなかった。
「遠く」ができるようになったが、私が求めている「彼方」は却って見えなくなるほど遠くに行ってしまった。
それでも二つだけ印象に残っているのは、近距離Esで岩手と交信できたこと、自作の6エレクワッドで伊東市と交信したこと。
数年のアマチュア無線経験ののち、ICB-650に戻り、5/8λGPアンテナを作り(違法)「彼方」を探した。BCLもやった。
人は自分の想像力を超えてしまう結果が出るような、想像力を巡らせることのできない環境も楽しめないのだ。
6mFM。
20年ほど前に再開局準備の時、今はないアマチュア無線機屋さんの中古品のガラス棚の中、AZDENの6mモノバンドFMモービル機と出会った。
店の親父さんは「6mFMなんて誰も出てないから、430にしたほうがいい」と言った。
けれど私は430は減衰が大きいからとかわけのわからないことを言って、それを買った。
車にもアンテナをつけ家と兼用で使った。家のアンテナはモノバンドのアローラインだった。
私にとってはじめて、自分の無線的想像力の中で6mFMを捉えることになった。
6mという長くも短くもない短波に似たVHFであるということ、ノイズが多いという欠点も含めて6mFMを好きになっていた。
今の家に移り、自分の無線的想像力の「彼方」を目指すようになってゆく、自由にアンテナを設置できるようになって5/8λGPを作り。次に5/8λ×2GPそれでしばらくやり、2エレクワッド、4エレクワッド(全て垂直偏波)ベランダからあげられるアンテナに限度を感じて現在に至った。
割と最近、秘密基地ゴッコの通信回線を増やそうと短波に出られようにしたぐらい。
今でも気持ちとしては子供の頃、ICB-650を前にして無線をしているのと変わっていない。ただ馬齢を重ねただけ。秘密基地遊びをしている感じも同じ。
「彼方」に到れたか?いまだいたれていない、逃げ水のように、先へ先へと行ってしまう。子供の頃に見た、何億光年も彼方の銀河団のかすかな光に誘われるように。
それくらい無線遊びは奥が深い。
言葉で言えるのは「無線遊びとは空間愛である」宇宙空間も含めた空間と時間を愛することではないかと今はとりあえず思っている。
技術的な楽しみや「競技」について触れないのは、それがアマチュア無線に限ったことではない楽しみだから。
6mFMの楽しさを書こうと書き始めたが、結局、無線の原初的な楽しさ、奥深さに立ち戻ってしまう。どんな周波数をやろうがCWだろうがFMだろうがSSBだろうがFT8だろうが、それをしていて楽しいのならばそれぞれの楽しさは同じことだ。
「無線には色々な楽しみ方がありますから」
「アマチュア無線には無限の可能性がありますから」
という人はよくいるが、あるのは一人一人に現前している無線のたのしみだけ、「色々」はない、「人それぞれ」という方はよくいらっしゃいますが、それはこの趣味の奥深くを、考えないがゆえではないかと思う。
やらないほうがいいのは他人と、自分を比べること、比べているうちは、本当の無線の楽しさはとは、無縁のことをしていると思った方がいいかもしれない。
無線の面白さ、奥深さ、わびさび、その美的側面、無線的人間関係の難しさを吸収した。
必然のようにアマチュア無線の免許を取り「アマチュア無線開局ガイド」という本で、自分がこれから始める周波数について検討した。
私はCBとの近さから、10mをやりたいと思ったが、予算と当時6mが入門バンドとして勧められていたこともあり6mを選んだ「開局ガイド」の6mの紹介に添えられていた、山を電波がのんびりと超えてゆく絵と「飛ぶときは飛ぶ」けど「飛ぶような飛ばないような」何とも言えない感じも気に入った。
中学生になって開局した。
6mAMをポータブル機と4エレの八木で運用したが、どうも自分が求めているものと違うことに気づく、 アマチュア無線は整然としすぎていて、運用している人も「均質」、何よりあまりにもたやすく「遠く」ができすぎた。必ずやるリグとアンテナの紹介という、優劣の付け合い、めんどくさいカード、今まで違法局の混信でできなかった、Esもたやすくできてしまう。
やたら分厚いCQ誌で大人たちのDXの話を読んでもわくわくするものは何もなかった。
「遠く」ができるようになったが、私が求めている「彼方」は却って見えなくなるほど遠くに行ってしまった。
それでも二つだけ印象に残っているのは、近距離Esで岩手と交信できたこと、自作の6エレクワッドで伊東市と交信したこと。
数年のアマチュア無線経験ののち、ICB-650に戻り、5/8λGPアンテナを作り(違法)「彼方」を探した。BCLもやった。
人は自分の想像力を超えてしまう結果が出るような、想像力を巡らせることのできない環境も楽しめないのだ。
6mFM。
20年ほど前に再開局準備の時、今はないアマチュア無線機屋さんの中古品のガラス棚の中、AZDENの6mモノバンドFMモービル機と出会った。
店の親父さんは「6mFMなんて誰も出てないから、430にしたほうがいい」と言った。
けれど私は430は減衰が大きいからとかわけのわからないことを言って、それを買った。
車にもアンテナをつけ家と兼用で使った。家のアンテナはモノバンドのアローラインだった。
私にとってはじめて、自分の無線的想像力の中で6mFMを捉えることになった。
6mという長くも短くもない短波に似たVHFであるということ、ノイズが多いという欠点も含めて6mFMを好きになっていた。
今の家に移り、自分の無線的想像力の「彼方」を目指すようになってゆく、自由にアンテナを設置できるようになって5/8λGPを作り。次に5/8λ×2GPそれでしばらくやり、2エレクワッド、4エレクワッド(全て垂直偏波)ベランダからあげられるアンテナに限度を感じて現在に至った。
割と最近、秘密基地ゴッコの通信回線を増やそうと短波に出られようにしたぐらい。
今でも気持ちとしては子供の頃、ICB-650を前にして無線をしているのと変わっていない。ただ馬齢を重ねただけ。秘密基地遊びをしている感じも同じ。
「彼方」に到れたか?いまだいたれていない、逃げ水のように、先へ先へと行ってしまう。子供の頃に見た、何億光年も彼方の銀河団のかすかな光に誘われるように。
それくらい無線遊びは奥が深い。
言葉で言えるのは「無線遊びとは空間愛である」宇宙空間も含めた空間と時間を愛することではないかと今はとりあえず思っている。
技術的な楽しみや「競技」について触れないのは、それがアマチュア無線に限ったことではない楽しみだから。
6mFMの楽しさを書こうと書き始めたが、結局、無線の原初的な楽しさ、奥深さに立ち戻ってしまう。どんな周波数をやろうがCWだろうがFMだろうがSSBだろうがFT8だろうが、それをしていて楽しいのならばそれぞれの楽しさは同じことだ。
「無線には色々な楽しみ方がありますから」
「アマチュア無線には無限の可能性がありますから」
という人はよくいるが、あるのは一人一人に現前している無線のたのしみだけ、「色々」はない、「人それぞれ」という方はよくいらっしゃいますが、それはこの趣味の奥深くを、考えないがゆえではないかと思う。
やらないほうがいいのは他人と、自分を比べること、比べているうちは、本当の無線の楽しさはとは、無縁のことをしていると思った方がいいかもしれない。
「ラジオ局とアマチュア無線」 ― 2021年07月10日 15:25
「ラジオ局とアマチュア無線」7N4QUK
ラジオの衰退が言われて久しい。
ラジオが単に聞かれなくなったというよりも、電波で放送する放送局が、まず増えすぎた。
AMラジオの数は変わらないが、FMラジオ局、コミュニィティFMが増え。強敵のテレビ局も地デジ化してハイビジョンになった。BS,CS,インターネットで放送しているものABEMAやらユーチューブやその他の動画配信サービスまで加えると数えきれない。
一人が1日に放送を見る時間は限られているのでラジオに割かれる時間は、減る。
広告収入も減るので、番組中に通信販売をやったりするので聴取者が減るの悪循環。
「環境音楽」的に流しておくには、AMラジオは高音質すぎなくて良い、ラジオNIKKEI第二(いわゆるRN2はおすすめ)
放送局が多くなったら放送する内容を専門化して行くしかないと思われるのだが、AMラジオもFMも似たり寄ったり。
NACK5の営業的成功でFMは「音楽」という常識も成り立たなくなってきた。
営業利益の減少と送信施設の維持費がかかるということでAM局もFM周波数になだれ込んできた。
共倒れにならないのだろうか。
ラジオにしても本当は電波のエリアにいる市民が出資して「私たちの放送局」を作れれば、そしてそこで自分が聞きたいことを放送できれば良いのですが、この国の電波法が悪いのかわかりませんが、コミュニティ放送でさえ年間 1000万円の経費がかかるとかで、経費がかかりすぎて「私たちのAM放送局」がみんなに求められる時代まで作れそうにありません。
外国だとドイツのアマチュア無線連盟は自分たちの短波放送を持っています。こういうスタイルの放送でないとこの先は生き残れないでしょうね。
(提案ですが年間数千万掛かっているJARLニュースの代わりにラジオNIKKEIで週一コマ買って年間1千万程度で放送できれば経費がうくかもしれません。)
このAM不振の時代に成功していると思われる放送が一つあります。(私がそう思っているだけでほんとはどうかよくわかりませんが)
NHK「ラジオ深夜便」です、聞いているであろう聴取者像は「夜なかなか眠れなかったり、夜半に目覚めてしまう高齢者」の方かと思われます。
鍵は「深夜」「生」「明確な対象」だと思います。
「深夜」は非日常(夜間労働者を除く)です。昔から妖怪変化の出現するのも丑三つ時ですし、
そんな「深夜」は心が遠くを見る時間、自分を見つめる時間。一人の時間であることが多いかと思います。
放送スタジオと電波とラジオを介して一人で語りかけを聞きます。広い電波のエリアの共同体の中にあってバラバラの一人であることを無意識は捉えているはずです。「一人だけれど寂しくはない」
そんな感覚を、深夜という非日常で味わうわけです。
「ラジオで聞く」ということ自体、電波の性質からくる「メタメッセージ」を受け取っているのです。他にも生放送であることからくる「共時性」や「空間性」
午前二時に「ポピュラー・ヒット年代史 1965年の作品から」とか聞くと「私の放送局」だと感じまた聴きたくなるでしょう。
ラジオがこの先、生きのこるには電波を使うことからくるメタメッセージ、「共時性」「空間性」に加えて「個に語りかけているような」両方向性、狭めすぎない、いくらか緩めの聴取者の対象の設定が必要でしょう。
早朝のトラッカー向け番組なんかも良い例ですね。
いっそのこと、深夜だけしか放送しないっていうのもアリかもしれませんね。
さてアマチュア無線です。
放送の理屈で考えると430MHzの平日の「盛況」ぶりは「放送」ならば「大成功」なんだと思います。免許あろうがなかろうが無線に興味がなかろうが受け入れる、間口の広さ、そのくせ聴取対象はダントラの会話ばかりという超専門性。彼らが「俺のラジオ(無線)だ」と思うのも無理はありません。
残念ながら、我々のアマチュア無線はそのように間口が広い仕組みではありません。
というか、いつの間にか間口が狭くなっていました。
「放送局」の中にインターネット経由のものも多くなり、アマチュア無線という専門性にたどり着けるかどうか疑問になってきました。
「電波」を受信する行為自体、面白くなくなってきたのではないでしょうか?
インターネット放送の普及から海外の短波放送が減り、BCLがつまらなくなり、デジタル秘話化によって警察無線、消防無線が聞けなくなり、電波を受信して非日常体験ができるものがなくなりました。鉄道無線も防災無線もダメ。航空無線ぐらいしか聞くべきものはなくなりました。
こういうところからも無線に興味を持つ人は多かったはずです。
また40年前はどこでも、輸出用違法CBが安く手に入り無線遊びが登録なしに「フリーライセンス」でできました。そこらの工員さんや看護婦さんまでいました。(違法ですが)もちろん、合法CBの外部アンテナ改造やら、もちろん改造しない人もたくさんいましたが。ここからアマチュア無線に入ってくる人も多かったと思います。
結局、受信趣味やら違法だった5w23ch機、パーソナル無線それらが70年代80年代のアマチュア無線ブームを下支えしました。
アマチュア無線への導線として、登録も何もなしにできる真のフリーラジオ、それも実践的で何にでも使える無線がないのです、LCRがありますが少々非力です。アメリカで言えば23ch CB機のようなもの、段差ほどの垣根もないフリー無線機、フリーラジオが必要です。
電波帯域になんら受信して面白い通信もほぼなく、あるのは最初から堅苦しいアマチュア無線だけだったら誰が、夢や希望を持ってワクワク感を持ってアマチュア無線の資格など、いくら簡単とは言えお金を出して取るでしょうか?
こんな日本でも健気にフリーライセンスをする人たちこそ未来のアマチュア無線局の卵として大事にせねばならないと思います。
ラジオの衰退が言われて久しい。
ラジオが単に聞かれなくなったというよりも、電波で放送する放送局が、まず増えすぎた。
AMラジオの数は変わらないが、FMラジオ局、コミュニィティFMが増え。強敵のテレビ局も地デジ化してハイビジョンになった。BS,CS,インターネットで放送しているものABEMAやらユーチューブやその他の動画配信サービスまで加えると数えきれない。
一人が1日に放送を見る時間は限られているのでラジオに割かれる時間は、減る。
広告収入も減るので、番組中に通信販売をやったりするので聴取者が減るの悪循環。
「環境音楽」的に流しておくには、AMラジオは高音質すぎなくて良い、ラジオNIKKEI第二(いわゆるRN2はおすすめ)
放送局が多くなったら放送する内容を専門化して行くしかないと思われるのだが、AMラジオもFMも似たり寄ったり。
NACK5の営業的成功でFMは「音楽」という常識も成り立たなくなってきた。
営業利益の減少と送信施設の維持費がかかるということでAM局もFM周波数になだれ込んできた。
共倒れにならないのだろうか。
ラジオにしても本当は電波のエリアにいる市民が出資して「私たちの放送局」を作れれば、そしてそこで自分が聞きたいことを放送できれば良いのですが、この国の電波法が悪いのかわかりませんが、コミュニティ放送でさえ年間 1000万円の経費がかかるとかで、経費がかかりすぎて「私たちのAM放送局」がみんなに求められる時代まで作れそうにありません。
外国だとドイツのアマチュア無線連盟は自分たちの短波放送を持っています。こういうスタイルの放送でないとこの先は生き残れないでしょうね。
(提案ですが年間数千万掛かっているJARLニュースの代わりにラジオNIKKEIで週一コマ買って年間1千万程度で放送できれば経費がうくかもしれません。)
このAM不振の時代に成功していると思われる放送が一つあります。(私がそう思っているだけでほんとはどうかよくわかりませんが)
NHK「ラジオ深夜便」です、聞いているであろう聴取者像は「夜なかなか眠れなかったり、夜半に目覚めてしまう高齢者」の方かと思われます。
鍵は「深夜」「生」「明確な対象」だと思います。
「深夜」は非日常(夜間労働者を除く)です。昔から妖怪変化の出現するのも丑三つ時ですし、
そんな「深夜」は心が遠くを見る時間、自分を見つめる時間。一人の時間であることが多いかと思います。
放送スタジオと電波とラジオを介して一人で語りかけを聞きます。広い電波のエリアの共同体の中にあってバラバラの一人であることを無意識は捉えているはずです。「一人だけれど寂しくはない」
そんな感覚を、深夜という非日常で味わうわけです。
「ラジオで聞く」ということ自体、電波の性質からくる「メタメッセージ」を受け取っているのです。他にも生放送であることからくる「共時性」や「空間性」
午前二時に「ポピュラー・ヒット年代史 1965年の作品から」とか聞くと「私の放送局」だと感じまた聴きたくなるでしょう。
ラジオがこの先、生きのこるには電波を使うことからくるメタメッセージ、「共時性」「空間性」に加えて「個に語りかけているような」両方向性、狭めすぎない、いくらか緩めの聴取者の対象の設定が必要でしょう。
早朝のトラッカー向け番組なんかも良い例ですね。
いっそのこと、深夜だけしか放送しないっていうのもアリかもしれませんね。
さてアマチュア無線です。
放送の理屈で考えると430MHzの平日の「盛況」ぶりは「放送」ならば「大成功」なんだと思います。免許あろうがなかろうが無線に興味がなかろうが受け入れる、間口の広さ、そのくせ聴取対象はダントラの会話ばかりという超専門性。彼らが「俺のラジオ(無線)だ」と思うのも無理はありません。
残念ながら、我々のアマチュア無線はそのように間口が広い仕組みではありません。
というか、いつの間にか間口が狭くなっていました。
「放送局」の中にインターネット経由のものも多くなり、アマチュア無線という専門性にたどり着けるかどうか疑問になってきました。
「電波」を受信する行為自体、面白くなくなってきたのではないでしょうか?
インターネット放送の普及から海外の短波放送が減り、BCLがつまらなくなり、デジタル秘話化によって警察無線、消防無線が聞けなくなり、電波を受信して非日常体験ができるものがなくなりました。鉄道無線も防災無線もダメ。航空無線ぐらいしか聞くべきものはなくなりました。
こういうところからも無線に興味を持つ人は多かったはずです。
また40年前はどこでも、輸出用違法CBが安く手に入り無線遊びが登録なしに「フリーライセンス」でできました。そこらの工員さんや看護婦さんまでいました。(違法ですが)もちろん、合法CBの外部アンテナ改造やら、もちろん改造しない人もたくさんいましたが。ここからアマチュア無線に入ってくる人も多かったと思います。
結局、受信趣味やら違法だった5w23ch機、パーソナル無線それらが70年代80年代のアマチュア無線ブームを下支えしました。
アマチュア無線への導線として、登録も何もなしにできる真のフリーラジオ、それも実践的で何にでも使える無線がないのです、LCRがありますが少々非力です。アメリカで言えば23ch CB機のようなもの、段差ほどの垣根もないフリー無線機、フリーラジオが必要です。
電波帯域になんら受信して面白い通信もほぼなく、あるのは最初から堅苦しいアマチュア無線だけだったら誰が、夢や希望を持ってワクワク感を持ってアマチュア無線の資格など、いくら簡単とは言えお金を出して取るでしょうか?
こんな日本でも健気にフリーライセンスをする人たちこそ未来のアマチュア無線局の卵として大事にせねばならないと思います。
オーバーパワーと元JARL理事(正常化PJは5kWを許すのか?) ― 2021年07月03日 18:23
JA1NVF吉沼氏は2012年関東地方本部長、2018年に全国区の理事候補として当選した方です。
現在は正常化プロジェクトの主要メンバーとしてご活躍なさっています。
サイト運営者
JA1NVF 吉沼勝美, JA2HDE 木村時政, JG2GFX 種村一郎, JH3GXF 安孫子達, JR3QHQ 田中透, JA4DLF 綱島俊昭,
事務局・サイト更新担当: 7K1BIB 山内貴博(JARL社員)
総通のサイトで検索すると固定局は1kw免許のようですね。
素晴らしいです。
ところでJA1NVF吉沼氏が関東本部長だった頃、共同で出資して無線シャックを立ち上げたと聞いています。
ところが使用を巡ってトラブルになり訴訟に発展、敗訴されたそうです。返金しろと言う、百万円単位のお金をめぐるトラブルだったようです。
そのシャックのリニアの出力は5kWだったそうです。
まあDXerの間ではそう言う話はまま聞きますし、それ程驚きはしませんが、名誉な話ではないですよね。
法律を守ってフェアーになんかやってられるかいと言う人もいるとは思いますが。でもゲームなんで八百長はいけませんよね。
正常化プロジェクトだからといって違法運用はしないとは思いませんが。なぜか「お金のトラブル」が多いですね。
野暮は云いたくありませんが少なくともリニアで5kWやっちゃえる人は正常化プロジェクトであれJARLファーストであれ理事や執行部には入るべきじゃないと思うのですがいかがでしょうか?
現在は正常化プロジェクトの主要メンバーとしてご活躍なさっています。
サイト運営者
JA1NVF 吉沼勝美, JA2HDE 木村時政, JG2GFX 種村一郎, JH3GXF 安孫子達, JR3QHQ 田中透, JA4DLF 綱島俊昭,
事務局・サイト更新担当: 7K1BIB 山内貴博(JARL社員)
総通のサイトで検索すると固定局は1kw免許のようですね。
素晴らしいです。
ところでJA1NVF吉沼氏が関東本部長だった頃、共同で出資して無線シャックを立ち上げたと聞いています。
ところが使用を巡ってトラブルになり訴訟に発展、敗訴されたそうです。返金しろと言う、百万円単位のお金をめぐるトラブルだったようです。
そのシャックのリニアの出力は5kWだったそうです。
まあDXerの間ではそう言う話はまま聞きますし、それ程驚きはしませんが、名誉な話ではないですよね。
法律を守ってフェアーになんかやってられるかいと言う人もいるとは思いますが。でもゲームなんで八百長はいけませんよね。
正常化プロジェクトだからといって違法運用はしないとは思いませんが。なぜか「お金のトラブル」が多いですね。
野暮は云いたくありませんが少なくともリニアで5kWやっちゃえる人は正常化プロジェクトであれJARLファーストであれ理事や執行部には入るべきじゃないと思うのですがいかがでしょうか?
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