「極私的、無線の楽しさについて考えた」 7N4QUK ― 2021年07月28日 14:33
小学生の頃、ソニーのICB-650でCB遊び、私の無線的感性は全てここで養われた。
無線の面白さ、奥深さ、わびさび、その美的側面、無線的人間関係の難しさを吸収した。
必然のようにアマチュア無線の免許を取り「アマチュア無線開局ガイド」という本で、自分がこれから始める周波数について検討した。
私はCBとの近さから、10mをやりたいと思ったが、予算と当時6mが入門バンドとして勧められていたこともあり6mを選んだ「開局ガイド」の6mの紹介に添えられていた、山を電波がのんびりと超えてゆく絵と「飛ぶときは飛ぶ」けど「飛ぶような飛ばないような」何とも言えない感じも気に入った。
中学生になって開局した。
6mAMをポータブル機と4エレの八木で運用したが、どうも自分が求めているものと違うことに気づく、 アマチュア無線は整然としすぎていて、運用している人も「均質」、何よりあまりにもたやすく「遠く」ができすぎた。必ずやるリグとアンテナの紹介という、優劣の付け合い、めんどくさいカード、今まで違法局の混信でできなかった、Esもたやすくできてしまう。
やたら分厚いCQ誌で大人たちのDXの話を読んでもわくわくするものは何もなかった。
「遠く」ができるようになったが、私が求めている「彼方」は却って見えなくなるほど遠くに行ってしまった。
それでも二つだけ印象に残っているのは、近距離Esで岩手と交信できたこと、自作の6エレクワッドで伊東市と交信したこと。
数年のアマチュア無線経験ののち、ICB-650に戻り、5/8λGPアンテナを作り(違法)「彼方」を探した。BCLもやった。
人は自分の想像力を超えてしまう結果が出るような、想像力を巡らせることのできない環境も楽しめないのだ。
6mFM。
20年ほど前に再開局準備の時、今はないアマチュア無線機屋さんの中古品のガラス棚の中、AZDENの6mモノバンドFMモービル機と出会った。
店の親父さんは「6mFMなんて誰も出てないから、430にしたほうがいい」と言った。
けれど私は430は減衰が大きいからとかわけのわからないことを言って、それを買った。
車にもアンテナをつけ家と兼用で使った。家のアンテナはモノバンドのアローラインだった。
私にとってはじめて、自分の無線的想像力の中で6mFMを捉えることになった。
6mという長くも短くもない短波に似たVHFであるということ、ノイズが多いという欠点も含めて6mFMを好きになっていた。
今の家に移り、自分の無線的想像力の「彼方」を目指すようになってゆく、自由にアンテナを設置できるようになって5/8λGPを作り。次に5/8λ×2GPそれでしばらくやり、2エレクワッド、4エレクワッド(全て垂直偏波)ベランダからあげられるアンテナに限度を感じて現在に至った。
割と最近、秘密基地ゴッコの通信回線を増やそうと短波に出られようにしたぐらい。
今でも気持ちとしては子供の頃、ICB-650を前にして無線をしているのと変わっていない。ただ馬齢を重ねただけ。秘密基地遊びをしている感じも同じ。
「彼方」に到れたか?いまだいたれていない、逃げ水のように、先へ先へと行ってしまう。子供の頃に見た、何億光年も彼方の銀河団のかすかな光に誘われるように。
それくらい無線遊びは奥が深い。
言葉で言えるのは「無線遊びとは空間愛である」宇宙空間も含めた空間と時間を愛することではないかと今はとりあえず思っている。
技術的な楽しみや「競技」について触れないのは、それがアマチュア無線に限ったことではない楽しみだから。
6mFMの楽しさを書こうと書き始めたが、結局、無線の原初的な楽しさ、奥深さに立ち戻ってしまう。どんな周波数をやろうがCWだろうがFMだろうがSSBだろうがFT8だろうが、それをしていて楽しいのならばそれぞれの楽しさは同じことだ。
「無線には色々な楽しみ方がありますから」
「アマチュア無線には無限の可能性がありますから」
という人はよくいるが、あるのは一人一人に現前している無線のたのしみだけ、「色々」はない、「人それぞれ」という方はよくいらっしゃいますが、それはこの趣味の奥深くを、考えないがゆえではないかと思う。
やらないほうがいいのは他人と、自分を比べること、比べているうちは、本当の無線の楽しさはとは、無縁のことをしていると思った方がいいかもしれない。
無線の面白さ、奥深さ、わびさび、その美的側面、無線的人間関係の難しさを吸収した。
必然のようにアマチュア無線の免許を取り「アマチュア無線開局ガイド」という本で、自分がこれから始める周波数について検討した。
私はCBとの近さから、10mをやりたいと思ったが、予算と当時6mが入門バンドとして勧められていたこともあり6mを選んだ「開局ガイド」の6mの紹介に添えられていた、山を電波がのんびりと超えてゆく絵と「飛ぶときは飛ぶ」けど「飛ぶような飛ばないような」何とも言えない感じも気に入った。
中学生になって開局した。
6mAMをポータブル機と4エレの八木で運用したが、どうも自分が求めているものと違うことに気づく、 アマチュア無線は整然としすぎていて、運用している人も「均質」、何よりあまりにもたやすく「遠く」ができすぎた。必ずやるリグとアンテナの紹介という、優劣の付け合い、めんどくさいカード、今まで違法局の混信でできなかった、Esもたやすくできてしまう。
やたら分厚いCQ誌で大人たちのDXの話を読んでもわくわくするものは何もなかった。
「遠く」ができるようになったが、私が求めている「彼方」は却って見えなくなるほど遠くに行ってしまった。
それでも二つだけ印象に残っているのは、近距離Esで岩手と交信できたこと、自作の6エレクワッドで伊東市と交信したこと。
数年のアマチュア無線経験ののち、ICB-650に戻り、5/8λGPアンテナを作り(違法)「彼方」を探した。BCLもやった。
人は自分の想像力を超えてしまう結果が出るような、想像力を巡らせることのできない環境も楽しめないのだ。
6mFM。
20年ほど前に再開局準備の時、今はないアマチュア無線機屋さんの中古品のガラス棚の中、AZDENの6mモノバンドFMモービル機と出会った。
店の親父さんは「6mFMなんて誰も出てないから、430にしたほうがいい」と言った。
けれど私は430は減衰が大きいからとかわけのわからないことを言って、それを買った。
車にもアンテナをつけ家と兼用で使った。家のアンテナはモノバンドのアローラインだった。
私にとってはじめて、自分の無線的想像力の中で6mFMを捉えることになった。
6mという長くも短くもない短波に似たVHFであるということ、ノイズが多いという欠点も含めて6mFMを好きになっていた。
今の家に移り、自分の無線的想像力の「彼方」を目指すようになってゆく、自由にアンテナを設置できるようになって5/8λGPを作り。次に5/8λ×2GPそれでしばらくやり、2エレクワッド、4エレクワッド(全て垂直偏波)ベランダからあげられるアンテナに限度を感じて現在に至った。
割と最近、秘密基地ゴッコの通信回線を増やそうと短波に出られようにしたぐらい。
今でも気持ちとしては子供の頃、ICB-650を前にして無線をしているのと変わっていない。ただ馬齢を重ねただけ。秘密基地遊びをしている感じも同じ。
「彼方」に到れたか?いまだいたれていない、逃げ水のように、先へ先へと行ってしまう。子供の頃に見た、何億光年も彼方の銀河団のかすかな光に誘われるように。
それくらい無線遊びは奥が深い。
言葉で言えるのは「無線遊びとは空間愛である」宇宙空間も含めた空間と時間を愛することではないかと今はとりあえず思っている。
技術的な楽しみや「競技」について触れないのは、それがアマチュア無線に限ったことではない楽しみだから。
6mFMの楽しさを書こうと書き始めたが、結局、無線の原初的な楽しさ、奥深さに立ち戻ってしまう。どんな周波数をやろうがCWだろうがFMだろうがSSBだろうがFT8だろうが、それをしていて楽しいのならばそれぞれの楽しさは同じことだ。
「無線には色々な楽しみ方がありますから」
「アマチュア無線には無限の可能性がありますから」
という人はよくいるが、あるのは一人一人に現前している無線のたのしみだけ、「色々」はない、「人それぞれ」という方はよくいらっしゃいますが、それはこの趣味の奥深くを、考えないがゆえではないかと思う。
やらないほうがいいのは他人と、自分を比べること、比べているうちは、本当の無線の楽しさはとは、無縁のことをしていると思った方がいいかもしれない。
「ラジオ局とアマチュア無線」 ― 2021年07月10日 15:25
「ラジオ局とアマチュア無線」7N4QUK
ラジオの衰退が言われて久しい。
ラジオが単に聞かれなくなったというよりも、電波で放送する放送局が、まず増えすぎた。
AMラジオの数は変わらないが、FMラジオ局、コミュニィティFMが増え。強敵のテレビ局も地デジ化してハイビジョンになった。BS,CS,インターネットで放送しているものABEMAやらユーチューブやその他の動画配信サービスまで加えると数えきれない。
一人が1日に放送を見る時間は限られているのでラジオに割かれる時間は、減る。
広告収入も減るので、番組中に通信販売をやったりするので聴取者が減るの悪循環。
「環境音楽」的に流しておくには、AMラジオは高音質すぎなくて良い、ラジオNIKKEI第二(いわゆるRN2はおすすめ)
放送局が多くなったら放送する内容を専門化して行くしかないと思われるのだが、AMラジオもFMも似たり寄ったり。
NACK5の営業的成功でFMは「音楽」という常識も成り立たなくなってきた。
営業利益の減少と送信施設の維持費がかかるということでAM局もFM周波数になだれ込んできた。
共倒れにならないのだろうか。
ラジオにしても本当は電波のエリアにいる市民が出資して「私たちの放送局」を作れれば、そしてそこで自分が聞きたいことを放送できれば良いのですが、この国の電波法が悪いのかわかりませんが、コミュニティ放送でさえ年間 1000万円の経費がかかるとかで、経費がかかりすぎて「私たちのAM放送局」がみんなに求められる時代まで作れそうにありません。
外国だとドイツのアマチュア無線連盟は自分たちの短波放送を持っています。こういうスタイルの放送でないとこの先は生き残れないでしょうね。
(提案ですが年間数千万掛かっているJARLニュースの代わりにラジオNIKKEIで週一コマ買って年間1千万程度で放送できれば経費がうくかもしれません。)
このAM不振の時代に成功していると思われる放送が一つあります。(私がそう思っているだけでほんとはどうかよくわかりませんが)
NHK「ラジオ深夜便」です、聞いているであろう聴取者像は「夜なかなか眠れなかったり、夜半に目覚めてしまう高齢者」の方かと思われます。
鍵は「深夜」「生」「明確な対象」だと思います。
「深夜」は非日常(夜間労働者を除く)です。昔から妖怪変化の出現するのも丑三つ時ですし、
そんな「深夜」は心が遠くを見る時間、自分を見つめる時間。一人の時間であることが多いかと思います。
放送スタジオと電波とラジオを介して一人で語りかけを聞きます。広い電波のエリアの共同体の中にあってバラバラの一人であることを無意識は捉えているはずです。「一人だけれど寂しくはない」
そんな感覚を、深夜という非日常で味わうわけです。
「ラジオで聞く」ということ自体、電波の性質からくる「メタメッセージ」を受け取っているのです。他にも生放送であることからくる「共時性」や「空間性」
午前二時に「ポピュラー・ヒット年代史 1965年の作品から」とか聞くと「私の放送局」だと感じまた聴きたくなるでしょう。
ラジオがこの先、生きのこるには電波を使うことからくるメタメッセージ、「共時性」「空間性」に加えて「個に語りかけているような」両方向性、狭めすぎない、いくらか緩めの聴取者の対象の設定が必要でしょう。
早朝のトラッカー向け番組なんかも良い例ですね。
いっそのこと、深夜だけしか放送しないっていうのもアリかもしれませんね。
さてアマチュア無線です。
放送の理屈で考えると430MHzの平日の「盛況」ぶりは「放送」ならば「大成功」なんだと思います。免許あろうがなかろうが無線に興味がなかろうが受け入れる、間口の広さ、そのくせ聴取対象はダントラの会話ばかりという超専門性。彼らが「俺のラジオ(無線)だ」と思うのも無理はありません。
残念ながら、我々のアマチュア無線はそのように間口が広い仕組みではありません。
というか、いつの間にか間口が狭くなっていました。
「放送局」の中にインターネット経由のものも多くなり、アマチュア無線という専門性にたどり着けるかどうか疑問になってきました。
「電波」を受信する行為自体、面白くなくなってきたのではないでしょうか?
インターネット放送の普及から海外の短波放送が減り、BCLがつまらなくなり、デジタル秘話化によって警察無線、消防無線が聞けなくなり、電波を受信して非日常体験ができるものがなくなりました。鉄道無線も防災無線もダメ。航空無線ぐらいしか聞くべきものはなくなりました。
こういうところからも無線に興味を持つ人は多かったはずです。
また40年前はどこでも、輸出用違法CBが安く手に入り無線遊びが登録なしに「フリーライセンス」でできました。そこらの工員さんや看護婦さんまでいました。(違法ですが)もちろん、合法CBの外部アンテナ改造やら、もちろん改造しない人もたくさんいましたが。ここからアマチュア無線に入ってくる人も多かったと思います。
結局、受信趣味やら違法だった5w23ch機、パーソナル無線それらが70年代80年代のアマチュア無線ブームを下支えしました。
アマチュア無線への導線として、登録も何もなしにできる真のフリーラジオ、それも実践的で何にでも使える無線がないのです、LCRがありますが少々非力です。アメリカで言えば23ch CB機のようなもの、段差ほどの垣根もないフリー無線機、フリーラジオが必要です。
電波帯域になんら受信して面白い通信もほぼなく、あるのは最初から堅苦しいアマチュア無線だけだったら誰が、夢や希望を持ってワクワク感を持ってアマチュア無線の資格など、いくら簡単とは言えお金を出して取るでしょうか?
こんな日本でも健気にフリーライセンスをする人たちこそ未来のアマチュア無線局の卵として大事にせねばならないと思います。
ラジオの衰退が言われて久しい。
ラジオが単に聞かれなくなったというよりも、電波で放送する放送局が、まず増えすぎた。
AMラジオの数は変わらないが、FMラジオ局、コミュニィティFMが増え。強敵のテレビ局も地デジ化してハイビジョンになった。BS,CS,インターネットで放送しているものABEMAやらユーチューブやその他の動画配信サービスまで加えると数えきれない。
一人が1日に放送を見る時間は限られているのでラジオに割かれる時間は、減る。
広告収入も減るので、番組中に通信販売をやったりするので聴取者が減るの悪循環。
「環境音楽」的に流しておくには、AMラジオは高音質すぎなくて良い、ラジオNIKKEI第二(いわゆるRN2はおすすめ)
放送局が多くなったら放送する内容を専門化して行くしかないと思われるのだが、AMラジオもFMも似たり寄ったり。
NACK5の営業的成功でFMは「音楽」という常識も成り立たなくなってきた。
営業利益の減少と送信施設の維持費がかかるということでAM局もFM周波数になだれ込んできた。
共倒れにならないのだろうか。
ラジオにしても本当は電波のエリアにいる市民が出資して「私たちの放送局」を作れれば、そしてそこで自分が聞きたいことを放送できれば良いのですが、この国の電波法が悪いのかわかりませんが、コミュニティ放送でさえ年間 1000万円の経費がかかるとかで、経費がかかりすぎて「私たちのAM放送局」がみんなに求められる時代まで作れそうにありません。
外国だとドイツのアマチュア無線連盟は自分たちの短波放送を持っています。こういうスタイルの放送でないとこの先は生き残れないでしょうね。
(提案ですが年間数千万掛かっているJARLニュースの代わりにラジオNIKKEIで週一コマ買って年間1千万程度で放送できれば経費がうくかもしれません。)
このAM不振の時代に成功していると思われる放送が一つあります。(私がそう思っているだけでほんとはどうかよくわかりませんが)
NHK「ラジオ深夜便」です、聞いているであろう聴取者像は「夜なかなか眠れなかったり、夜半に目覚めてしまう高齢者」の方かと思われます。
鍵は「深夜」「生」「明確な対象」だと思います。
「深夜」は非日常(夜間労働者を除く)です。昔から妖怪変化の出現するのも丑三つ時ですし、
そんな「深夜」は心が遠くを見る時間、自分を見つめる時間。一人の時間であることが多いかと思います。
放送スタジオと電波とラジオを介して一人で語りかけを聞きます。広い電波のエリアの共同体の中にあってバラバラの一人であることを無意識は捉えているはずです。「一人だけれど寂しくはない」
そんな感覚を、深夜という非日常で味わうわけです。
「ラジオで聞く」ということ自体、電波の性質からくる「メタメッセージ」を受け取っているのです。他にも生放送であることからくる「共時性」や「空間性」
午前二時に「ポピュラー・ヒット年代史 1965年の作品から」とか聞くと「私の放送局」だと感じまた聴きたくなるでしょう。
ラジオがこの先、生きのこるには電波を使うことからくるメタメッセージ、「共時性」「空間性」に加えて「個に語りかけているような」両方向性、狭めすぎない、いくらか緩めの聴取者の対象の設定が必要でしょう。
早朝のトラッカー向け番組なんかも良い例ですね。
いっそのこと、深夜だけしか放送しないっていうのもアリかもしれませんね。
さてアマチュア無線です。
放送の理屈で考えると430MHzの平日の「盛況」ぶりは「放送」ならば「大成功」なんだと思います。免許あろうがなかろうが無線に興味がなかろうが受け入れる、間口の広さ、そのくせ聴取対象はダントラの会話ばかりという超専門性。彼らが「俺のラジオ(無線)だ」と思うのも無理はありません。
残念ながら、我々のアマチュア無線はそのように間口が広い仕組みではありません。
というか、いつの間にか間口が狭くなっていました。
「放送局」の中にインターネット経由のものも多くなり、アマチュア無線という専門性にたどり着けるかどうか疑問になってきました。
「電波」を受信する行為自体、面白くなくなってきたのではないでしょうか?
インターネット放送の普及から海外の短波放送が減り、BCLがつまらなくなり、デジタル秘話化によって警察無線、消防無線が聞けなくなり、電波を受信して非日常体験ができるものがなくなりました。鉄道無線も防災無線もダメ。航空無線ぐらいしか聞くべきものはなくなりました。
こういうところからも無線に興味を持つ人は多かったはずです。
また40年前はどこでも、輸出用違法CBが安く手に入り無線遊びが登録なしに「フリーライセンス」でできました。そこらの工員さんや看護婦さんまでいました。(違法ですが)もちろん、合法CBの外部アンテナ改造やら、もちろん改造しない人もたくさんいましたが。ここからアマチュア無線に入ってくる人も多かったと思います。
結局、受信趣味やら違法だった5w23ch機、パーソナル無線それらが70年代80年代のアマチュア無線ブームを下支えしました。
アマチュア無線への導線として、登録も何もなしにできる真のフリーラジオ、それも実践的で何にでも使える無線がないのです、LCRがありますが少々非力です。アメリカで言えば23ch CB機のようなもの、段差ほどの垣根もないフリー無線機、フリーラジオが必要です。
電波帯域になんら受信して面白い通信もほぼなく、あるのは最初から堅苦しいアマチュア無線だけだったら誰が、夢や希望を持ってワクワク感を持ってアマチュア無線の資格など、いくら簡単とは言えお金を出して取るでしょうか?
こんな日本でも健気にフリーライセンスをする人たちこそ未来のアマチュア無線局の卵として大事にせねばならないと思います。
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